阿部野神社について

阿部野神社創建の沿革

現在の神社の鎮座地は顕家公が足利軍と戦った古戦場であり、当神社の御旅所には、顕家公のお墓として伝えられている墓碑がございます。この顕家公の御墓所の存在がきっかけとなり、近隣より明治十一年(一八七八)二月、顕家公をお祀りする神社創建運動が起こり、政府もこれを受け、明治十四年(一八八一)一月、御祭神を顕家公とその御父君であらせられる親房公の御両神とすることを決定しました。

『公文録』には、その時の政府の対応として以下のように記されています。

―別格官幣社ニ被列候様致度且北畠親房之忠義ノ功業ハ顕家同様之儀ト存候ニ付父子二座ヲ以祭神ト御定相成度―

そして、明治十五年(一八八二)一月二十四日、阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同十八年(一八八五)五月二十八日に創立、同二十三年(一八九〇)三月三十一日に鎮座祭が斎行されました。現社殿は昭和四十三年に再建されたものです。また当神社は、全国にある建武の中興に尽力された天皇、皇子、そして多くの忠臣義士をお祀りしている「建武中興十五社」の一つに数えられています。

尚、御本社の月次祭は、毎月十八日と二十二日でございます。



阿部野神社の風景